今から23年前のMALIBU POINT

2018-01-19

ええ?何のこと?と思いますよね。

このMALIBU POINTは今の姿はシーズン2なんです。

シーズン1は私が大学生だった23年前に同じこの場所で、スニーカー&サーフショップとしてやっていたんです。

当時、地元には体育大学があるにも関わらずスポーツシューズやスニーカーを扱うお店は無く、今のようにインターネットショッピングがない時代。

学費や生活費を稼ぐために私がオーナーとなり父と母や仲間達の協力の元、お店をオープンさせました。

確か1994かな。

写真は当時の店内。キャッシュカウンターにはDJブースがあり、壁はシルバーに塗ったトタン板。

近未来感を出したかったんです。

同級生や弟の仲間達が集い、DJプレイをしたり、サーフィンしたり、パーティーしたりと楽しい時間を仲間達と過ごしたお店でした。

時は1995年空前にスニーカーブーム。人々はエアマックスを求め数十万円で取引される狂気な時。

私は学生の時に旅したシドニーのスポーツショプで大量のエアマックスを発見。滞在した2ヶ月間で変えるだけ買い占め、仲間達のバックを使って日本へ持ち込みました。

定番カラー、パープル、ブルー、グリーン、レッドと都内のショップではお目にかかることもないエアマックがここ勝浦にはたんまりありました。

入荷と同時に完売。だって価格は定価×10%。学生達がみんな買いにきましたね。

サーフボードは大野薫氏のベティーズ。たまに遊びに来てくれてその際に、こうしようよ、このほうが調子いいんじゃないなどとアドバイスを沢山くれました。

当時はケリー・スレーター黄金時代。みんな細っそくて先っぽがギュウィーンと反り上がったポテトチップスボード全盛期。

そんな中、薫さんのボードは短くて、幅広くて、尻が割れていて、ギュウィーンと反っていないボード。

「ミチ、これからのサーフィングはこれだぜ」「ミニだよ!」

とボードのことなんて全然わかっていない私は「だね!」なんて言ってミニボード「ベティーズミニ」をチョイス。

薫さんは私や私の仲間、弟の同級生たちを集めては、「サーフィンとは」「サーファーたるもの」について説いてくれました。

お酒が入ると多少トラブルもありましたが、私は薫さんが勝浦に来てくれることがとっても楽しみでした。

冷や冷やすることもありましたが、とにかく素敵な時間で、毎日毎日暮らしている勝浦の街が薫さんがくると違う町に見えました。

 

あれから20年。2014年にMALIBU POINTのシーズン2がスタートしました。

もちろん当時感じたことや薫さんが気づかせてくれたことをこのお店には持ち込んでいます。

 

MALIBU POINTのシーズン2はいつまで続くのか。シーズン3はあるのだろうか?

私にもわかりません。

今のスタイルを後5年は続ける予定です。

その間にシーズン3のスタイルを考えます。

様々なことから解き放たれた時。そこで本当に私が求めていた、やりたかったことを世に送りだすかも。

 

人には受け入れてもらえないかもしれませんが、きっと私だけは楽しいはず。